西平城跡
にしだいらじょうあと
(Nishidaira Castle Ruins)
【C-NN005】 探訪日:2017/9/14
長野県飯田市山本
【MAP】
〔駐車場所〕
築城時期は定かでないが、松尾小笠原氏の持城である久米ヶ城の支城と推測されている。浄玄寺の北西背後に聳える標高800mほどの山に築かれている。主郭は南北方向に広く長く、東を除く三方に低い土塁を巡らせ、中央東には虎口と思われる枡形状に開いた部分が残る。主郭の東山腹には細長い帯曲輪状の地形があり、最下部は横堀状で南北両端は竪堀として落ちている。曲輪は主郭から北東,東,南東,南と北西を除いて周囲に伸びる尾根に配しており、曲輪のない北西尾根は三条の堀切で遮断されている。各尾根には小さな段曲輪と堀切が続き、先端の堀切で終わる。
1582(天正10)年、小笠原信嶺は織田信長の甲斐侵攻の際には織田方へ内通し織田軍先陣の団平八,森勝蔵が妻籠口から清内路口へ攻め入っている。信嶺の離反に対し武田勝頼は人質であった信嶺の母を処刑した。