生田城跡
しょうだじょうあと (Shouda Castle Ruins)
【C-AC255】探訪日:2019/5/23
愛知県岡崎市美合町生田屋敷
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではない。『三河国二葉松』には酒井彦四郎,石川又四郎,生田六左衛門が城主と記載されている。また、残された古城図には本丸の東西に枡形の虎口があり、城域全体が堀に囲まれた小規模な城砦としての用途であったと考えられる。
石碑には「明和年間生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前国中津藩に御輿入れになった際に付添武士として栄任され時の庄屋本間幾右衛門重勝に其の後始末を一任され廃城となった」と刻まれているが、解読不能である。明和年間(1764~72年)に奥平家が中津藩に赴いたこと、生田氏は奥平家の五家老の一人であることは確かであるが、家康公の姫御前と思われる奥平信昌に嫁いだ亀姫の時代とは100年以上のずれがある。