赤須城跡
あかすじょうあと
(Akasu Castle Ruins)
【C-NN027】 探訪日:2017/9/15
長野県駒ヶ根市下平
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、南北朝時代の暦応年間(1338~42年)の頃に片切孫三郎為幸によって築かれたとされる。為幸は船山城主片切為清の子で、赤須を領して赤須氏を称したという。武田信玄の勢力が伸びてくると、その家臣となり春近衆の一人となった。1582(天正10)年、織田信長の軍勢が信濃へ攻め寄せてくると大島城に籠もり対抗したが、敗れ滅亡した。
赤須城は天竜川により段丘の東端に築かれており、その規模は東西900m,南北最大幅400mで、東に行くに従い幅は狭くなっている。北方は田沢川の深い谷、東は峻立する急斜面、南は宮沢川の浸食による深い自然の堀となっており、自然の地形を巧みに利用した連郭式の平山城である。
段丘突端に外城、続いて西へ本郭,二の郭,出郭,添郭があり、その間には空堀で区画される。現存する堀は7本であるが、いちばん西の掘の西側には、団地造成の折の確認調査において空堀が検出され、8本の堀があったことが確認されている。城址碑,説明板が建てられているところが本丸跡とされ、その西側に大きな空堀が二条残り、土塁も残されている。二の丸跡にも土塁が残り、駐車場付近は出郭跡とされる。