上穂城跡
うわぶじょうあと
(Uwabu Castle Ruins)
【C-NN028】 探訪日:2017/9/15
長野県駒ヶ根市赤穂北割(大法寺)
【MAP】
〔駐車場所〕
築城時期は定かでないが、戦国時代に上穂氏が居城したと伝えられる。現在の大法寺一帯が城とされ、寺の西背後の辺りが中心と考えられているが、現在は宅地となっており明瞭な遺構は残されていない。また、説明板や標柱も設置されていない。
上穂氏は諏訪大祝家庶流の藤沢氏に仕え、武田信玄とは敵対関係にあった。しかし、諏訪氏が滅ぼされ藤沢氏も降伏。1556(弘治2)年、武田信玄が川中島で戦っている間に、武将8人が協力して信玄の娘の嫁ぎ先である木曽氏を攻撃し、あくまでも信玄へ反抗する姿勢を示した。その一人が上穂重清である。8人は武田軍の逆襲により捕らえられ狐島にて処刑され晒し首となったが、伊那長谷黒河内の住民は郷土のために戦った武将として8人の首を黒河内に密かに持ち帰り、黒河内隼人政信の居城であった艮城の東の丘に丁重に葬った(八人塚)。
上穂城城は、1556年あるいは城跡にある大法寺が創建された1562(永禄5)年に廃城になったと思われる。