久間山砦跡

ひさまやまとりであと (Hisamayama Fort Ruins)

【C-AC258】探訪日:2019/4/6

 愛知県新城市乗本字川添

【MAP】

〔駐車場所〕県道69号線の左側になるなだらかな坂道から山道に入る(徒歩をお勧め)。

   1572(天正元)年、徳川家康が長篠城を武田氏方から奪還する際に、北に隣接する中山砦とともに築いたとされる。中山砦の南300mの丘陵先端部で標高150m(比高80m)の位置に立地されている。
 1575(天正3)年5月には、武田勝頼が長篠城攻めの際に乗本五砦の一つとして利用し、砦には、和気善兵衛,大戸直光,倉賀野秀景,原胤成,野州浪人組他300騎が構えていた。5月21日明け方に酒井忠次別動隊の奇襲が始まり、奥平貞能と戸田重光の一隊が久間山砦を攻めたが、当初は要害に阻まれて苦戦を続けた。やがて、他の砦を落した隊が増援して火を放ったため、ついに和気善兵衛は火中に投じて自ら命を絶ち、残る大戸直光らの諸将も豊田虎蔵,黒谷弥太郎,朝岡甚七,鍋田甚兵衛,堀田大之進,鳥井俄右衛門,河合十斗兵衛,鋤柄百度右衛門の追撃により討ち取られた。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 


【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1572年・1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 武田勝頼 G433 和気善兵衛 ****
大戸直光 **** 倉賀野秀景 **** 原 胤成 H***
酒井忠次 SK01

 


 廃屋小屋の左側から登るが、山道は整備されていないため、ひたすら尾根(上方の明るい方向)をめがけて歩くこと10~15分で砦主郭(平坦部)に着いた。久間山砦跡碑を見つけて、ほっとする。すこし南側にも広い平坦部があり、こちらも砦の一部と考えてもよさそうな場所である。

 

 

酒井忠次別動隊による乗本5砦の奇襲(1575年5月21日朝)

【C-AC258】久間山砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC258】久間山砦跡

▲登り口

【C-AC258】久間山砦跡

▲登り口

【C-AC258】久間山砦跡

▲砦主郭

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▲砦主郭

【C-AC258】久間山砦跡

▲砦主郭

【C-AC258】久間山砦跡

【C-AC258】久間山砦跡

▲付近の平坦地

【C-AC258】久間山砦跡

▲付近の平坦地