柳田前激戦地〔長篠古戦場〕

やなぎだまえげきせんち〔ながしのこせんじょう〕

(Yanagidamae Fierce Battlefield [Historic Battlefield of Nagashino])

【B-AC004b07】探訪日:2019/4/6・2019/4/20

 愛知県新城市竹広65

  【MAP】

〔駐車場所〕

   1575(天正3)年5月21日の設楽原の戦いにおいて、武田軍と織田徳川連合軍の最前線の間に流れる連吾川にかかっている橋のところが柳田前激戦地である。徳川軍の馬防柵のほぼ正面にあたり、武田軍の武田信廉,内藤昌豊(昌秀),原昌胤,甘利信康,小幡信貞らが激戦を繰り広げた。また、生き残った武田軍の各隊が合流して最後の突撃を行った場所でもある。
 甘利信康は、この柳田の辻まで押し戻され、連合軍の防御陣地づくりに協力した柳田地区の村民を呪いつつ、庄屋の屋敷門扉に寄りかかり、立ったまま切腹して自らの命を断ったとされる。さらに、内藤昌豊,原昌胤,小幡信貞もここで戦死している(ただし、小幡信貞については戦死したのは弟または父の憲重とされる)。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
武田信廉 G431 内藤昌豊(昌秀) F*** 原 昌胤 H4**
小幡信貞 **** 甘利信康 G425

 


 古戦場いろはかるたにあるように、連吾川と水田のぬかるみで、騎馬隊の突撃もままならなかったことは想像に難くない。

 


 

【B-AC004b07】柳田前激戦地〔長篠古戦場〕 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【B-AC004b07】柳田前激戦地〔長篠古戦場〕

▲橋の向こう側が徳川軍陣地

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▲橋から見た馬防柵