賤機山城跡

しずはたやまじょうあと(Shizuhatayama Castle Ruins)

【C-SZ160】探訪日:2025/3.24

【C-SZ160】賤機山城跡 岡県静岡市葵区大岩

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではなく、駿河国守護・今川範政が駿府に入った1411(応永18)年頃とされるが、それ以前の建武年間(1334~38年)頃に安倍城に籠もる南朝方の狩野氏に対して、駿河に入国した北朝方の今川範国が築いたとも推測されている。南北朝時代以降は今川氏館の詰めの城として機能していたと考えられている。
 1568(永禄11)年冬、武田信玄が駿河へ侵攻すると、今川氏真は、北条氏に援軍を求めて薩埵峠で迎え撃とうとしたが、家臣の瀬名信輝,葛山氏元らが武田氏に内通しており、掛川城へと逃れた。駿府へ入った武田氏は賤機山城を落とすと、この城(『甲陽軍鑑』では「籠鼻」と記されるが本城を指すともいわれる)に陣取り、今川氏館(現・駿府城跡)に火を放って焼き尽くした。この時、武田側により一部改修が加えられた可能性が指摘されている。
 さらに1582(天正10)年、徳川家康の入府の際に再び落城し、そのまま廃城となったという。
 城は安倍川左岸に沿うように伸びる賤機山山頂(標高173m,比高150m)に位置する。馬の背状の尾根最上部に主郭を構え、南北の尾根上や東西に派生した尾根にも複数の曲輪を配し、狭い尾根筋には堀切を設けて防御性を高めている。主郭は中央部分の櫓台状に一段高くなった曲輪で南北二郭に分かれ、東側に犬走りの通路がある。北郭(城址碑が建つ)の北側と南郭の西側に土塁が付けられている。また、主郭の南側にはⅡ郭がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1334~38年 1411年 1568年・1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
今川範国 G360 今川範政 G360 今川氏真 G361
武田信玄 G434 徳川家康 TG01

 

【C-SZ160】賤機山城跡
 登りは浅間神社側から古墳群を訪れながら賤機山公園頂上を目指してハイキングコースを進んだ。何人かの元気なお年寄り(自分もだが)と遭う。ただ、公園から先の城跡まで訪れる方はあまりいないようだ。そこから上り下りが険しくなり、ロープを伝う個所もある。Ⅱ郭についてはあまり明確ではなかったが、おそらく、ここだろうと撮影した。主郭には城址碑と説明板が立てられている。下山は来た道ではなく、東の臨済寺側に下りてみた(臨済寺駐車場に車を停めたため)。下方に向かって適度な間隔で赤テープの目印があり、ほとんど迷うことなく短時間で下りることができる(臨済寺とはかなり離れてしまったが)。登りも直登にはなるが、このルートだと直接、主郭に達することができる。 

 

【C-SZ160】賤機山城跡

【C-SZ160】賤機山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

賤機山公園頂上からさらに北のコースへ進む 堀切 堀切 堀切 堀切 Ⅱ郭の土塁 Ⅱ郭 Ⅱ郭 Ⅱ郭付近からみた西側の眺望(高架の国道1号線と安倍川が見える) 主郭の北郭 主郭の北郭全体(南郭側から見る) 北側に土塁がある 北郭北側の土塁(郭外から見る) 中央部分に櫓台状の高台がある(北から見ている) 櫓台状の曲輪 櫓台状の曲輪 高台から見た主郭南側 主郭の北郭から南郭へ 犬走り 主郭の南郭 主郭の南郭 主郭の南郭 主郭の南郭 主郭南郭の土塁 主郭南郭の土塁 主郭南郭の土塁 主郭から東側の斜面を赤テープに従って下りると幾つかの曲輪がある 赤テープに従って最後に下りた所 株式会社ネクスの西側にあたる