藤原乙牟漏高畠陵
ふじわらのおつむろ たかばたけりょう(Takabatake Mausoleum of Fujiwara Otsumuro)
【K-KT015】探訪日:1994/5.1
京都府向日市
【MAP】
〔駐車場所〕
790年4月28日(延暦9年閏3月10日)、第50代・桓武天皇の皇后で31歳にて崩御した藤原乙牟漏の陵に比定されている。ただし、考古学的には古墳時代前期4世紀代の首長墓とされる。直径約65m,高さ約7mの円墳。
藤原乙牟漏は藤原鎌足の玄孫にあたり、藤原式家の藤原良継と母・阿倍古美奈の娘として山部親王の許に入内し、774(宝亀5)年8月に小殿親王(のちに改名して安殿)を産み、山部親王が781(天応元)年4月15日に即位して桓武天皇となった後の786(延暦5)年には神野親王を産む。のちに安殿親王は平城天皇、神野親王は嵯峨天皇となる。
789(延暦8)年に高志内親王を産んだ翌年の閏3月10日に崩御し、高畠陵(長岡陵)に葬られた。平城天皇により、皇太后を追贈されている。乙牟漏皇后は美しく、温和なお人柄で、礼儀正しく、良き母であったとされる。