朝日遺跡

あさひいせき(Asahi Ruins)

【V-AC016】探訪日:2025/2.9

【V-AC016】朝日遺跡 愛知県清須市西田中松本11 <📲:052-409-1467(あいち朝日遺跡ミュージアム)>

【MAP】

〔駐車場所〕あいち朝日遺跡ミュージアムの駐車場を利用できる。

【V-AC016】朝日遺跡

   朝日遺跡は、弥生時代前期から古墳時代前期(紀元前6世紀~紀元後4世紀頃)まで営まれた全国でも有数の大規模集落跡である。1929(昭和4)年の貝殻山貝塚(国指定史跡)の発見を皮切りに、竹村貝塚,二反地貝塚,寅ヶ島第二貝塚の弥生時代の貝塚の発掘調査が行われ、貝塚周辺の集落跡,大規模な墓域,環濠なども確認され、1970年代の自動車道の建設にともなう大規模な発掘調査により、まとまりをもつ一つの集落であることが明らかになったことで、この集落跡を包括して「朝日遺跡」と呼ぶように統一された。その規模は東西1.4km,南北0.8km(名古屋市西区~清須市)に及び、遺跡の面積は80~100万㎡と推定されている。また、最盛期の人口は約1,000人であったといわれている。
 縄文時代の出土品,遺構としては、縄文中期末の土器,晩期前半の土器片が出土し、後期前葉にドングリ貯蔵穴が設けられていた。
 弥生時代前期の遺構としては、前述の貝塚が見つかり、朝日遺跡の場合、貝層の多くは集落を囲む環濠内に形成されている。中期前葉には、東西にのびる谷に沿う南北の微高地に居住域と墓域が形成され、大まかには、南北に居住域、東西に墓域が配置された。墓は東墓域と西墓域では埋葬方法が異なっている。
 中期後半になると、竪穴建物は円形が消滅してすべて方形・長方形・胴張り長方形になる。さらに、北居住域を囲むように3~4条の環濠が巡らされ、谷にかかる部分には柵・逆茂木・乱杭などの強固なバリケードが設けられるようになる。これらを他の集落の住民からの襲撃に備えた強固な防御施設と捉え、戦乱の時代へと大きく変わっていく姿と見ることができる。弥生時代のものとしては日本で初めての発掘とされている。ただ、防御施設とする評価には疑問も提示されており、洪水対策施設ではないかとする見方もある。
 弥生時代後期には、南北の居住域はそれぞれ1~2条の環濠で囲まれる(北環濠集落・南環濠集落)が、北環濠集落の東側は中期後半の環濠を再掘削して水路が設けられ、環濠に隣接する1条にヤナ遺構が設置されていた。
 古墳時代以降は次第に朝日遺跡最後の閑散とした状況となり、5世紀代の円墳が造られる。6世紀以後は湿地化して、鎌倉時代には方形土坑群が展開する墓地となった。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡:貝殻山貝塚(1971年12月15日指定)

【国 宝】 

【国重文】出土品2,028点(土器・土製品:727点,木器・木製品:253点,石器・石製品:650点

              ガラス小玉:121点,金属製品:37点,骨角牙貝製品:240点)

関連時代 弥生時代:前期~古墳時代:前期
関連年号 紀元前6世紀~紀元後4世紀頃
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
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【V-AC016】朝日遺跡
  

 

【V-AC016】朝日遺跡

 

あいち朝日遺跡ミュージアムで展示されている重要文化財の出土品(Wikipediaより)

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第1貝塚(貝殻山) 第2貝塚(貝殻山) 復元高床倉庫 復元高床倉庫 復元高床倉庫 復元竪穴住居 復元竪穴住居 復元竪穴住居 復元竪穴住居 復元竪穴住居 弥生時代前期~中期初期(BC6~BC4世紀)の環濠跡の貝層再現 弥生時代前期の環濠と貝塚 水田遺構