三ツ山古墳
みつやまこふん(Mitsuyama Kofun Tumulus)
【K-AC251】探訪日:2025/2.6
愛知県豊橋市牟呂町三ッ山5
【MAP】
〔駐車場所〕
豊川下流域左岸の低位段丘縁辺部に築造された古墳で、かつては周辺に小古墳6基が分布したが、現在は本古墳のみが残されている。
形状は前方後円墳。墳丘長は38m、後円部直径18.5ⅿ,前方部幅28ⅿの前方部が発達した2段築成で、前方部を北西の三河湾に向けている。墳丘表面では円筒埴輪,形象埴輪(人物埴輪)が検出されているが、葺石はみられない。また、墳丘周辺には深さ50cmほどの周濠が確認できている(現地の赤色ゾーン)。
埋葬施設は、後円部と前方部に横穴式石室各1基であり、後円部石室は大きく破壊されているが、前方部石室は無袖式の石室であり、大刀1・短刀1・馬具(轡1)・鉄鏃50本以上・須恵器(脚付有蓋壺・提瓶)・土師器(壺)が検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半頃と推定され、この地方に勢力をもった海浜部の首長の墓と考えられ、古墳の特徴からヤマト政権との関わりも想起される。
なお、本古墳には盗掘痕はみられないものの、中世墓や戦時中の防空壕,塹壕に利用された形跡があり、発掘調査時には部分的な墳丘破損も確認されている。現在は古墳としての整備(石室埋め戻し)が行われ、地域に親しまれる三ツ山公園となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:後期 |
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関連年号 | 6世紀前半頃 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳 |
三ツ山古墳の石室と出土品(「あいちの発掘調査2024」,Wikipediaより転載)