本居宣長奥墓

もとおりのりなが おくつき(Grave of Motoori Norinaga)

【T-ME015】探訪日:2025/1.24

【K-ME015】本居宣長奥墓 三重県松阪市山室町1374

【MAP】

〔駐車場所〕妙楽寺下に駐車場がある。

【K-ME015】本居宣長奥墓

   1801(享和元)年11月5日に亡くなった江戸時代の国学者(文献学・言語学)である本居宣長の墓所である。遺言書に従い、亡骸は松阪の町,遠く三河や富士の頂までも望める妙楽寺の山内(山室山)に葬られた。墓石の「本居宣長之奥墓」は自筆である。国指定史跡となっている。墓の傍らには、没後の門人・平田篤胤と門人の版木師・植松有信の歌碑が建てられており、また、背後には、好きだった山桜が植えられている。
 なお、松阪市新町にある浄土宗樹敬寺の本居宣長墓は、本居家の家長としての墓である(こちらも国指定史跡)。
 1730(享保15)年6月21日、伊勢松坂の豪商・小津家の次男に生まれ、名は栄貞、通称は弥四郎,健蔵と称した。号は芝蘭,瞬庵,春庵,鈴屋。荷田春満,賀茂真淵,平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる。
 契沖の文献考証と賀茂真淵の古道説を継承し、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著した。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1936年9月3日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:中期
関連年号 1801年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
本居宣長 ****

 

【K-ME015】本居宣長奥墓

 

 

【K-ME015】本居宣長奥墓

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妙楽寺への登り口 妙楽寺 妙楽寺からの登り口