立野城跡
たちのじょうあと(Tachino Castle Ruins)
【C-ME166】探訪日:2025/1.24
三重県松阪市立野町
【MAP】
〔駐車場所〕東の松尾神社の駐車場に停めさせていただく。
築城年は定かではないが、『勢陽五鈴遺響』によれば、北畠氏の家臣・水谷刑部少輔の居城であったとされる。親織田派とされ、1569(永禄12)年、織田信長が総勢7万といわれる軍で大河内城に迫ったときには、北畠具教に和解の説得にあたったともいわれる。立野城は大河内城の2.4kmほど北東に位置し、大河内城の出城的存在で谷の入口を守る位置にあった。織田軍が大河内城攻撃にあたり茶臼山に本陣を置いたとされるが、茶臼山本陣跡と立野城が同じ場所かどうかは定かではない(立野城はあくまでも信長侵攻に備えたものとする見方もある)。
城は標高138m,比高90mの急峻な丘陵頂部にあり、その規模は東西90m×南北110mとも東西70m×南北130mともいわれ、南北2つの台状地からなり、その周囲には平坦地を巡らされていたという。
しかし、現在は大規模な砂利取りが行われ土石置場となり、城跡は跡形もなく消滅している。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1569年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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水谷刑部少輔 | H*** | 織田信長 | OD04 | 北畠具教 | G830 |