近津長谷城跡
ちかつはせじょうあと(Chikatsuhase Castle Ruins)
【C-ME164】探訪日:2025/1.24・2.27
三重県多気郡多気町長谷
【MAP】
〔駐車場所〕舗装路を登り切ったところに近長谷寺の駐車場がある。
築城年は定かではないが、伊勢神宮の外宮禰宜であった度会家行によって築かれた。家行は神官でありながら、南伊勢地区の軍事的活動に身を投じ、後醍醐天皇の吉野遷幸に尽力したほか、北畠親房を支援し、その神国思想は北畠親房の思想や他の南朝方に大きな影響を与えた。
1347(正平2/貞和3)年8月、楠木正行(正成の嫡男)が挙兵すると、度会家行は、田丸城や一之瀬城とともに伊勢における南朝方として、山田から人夫を召し上げ兵糧米・具足を用意させて11月末には近津長谷城に籠ったという。楠木正行は1348(正平3年/貞和4)年に四條畷の戦いにおいて戦死したが、近津長谷城の去就についてははっきりしない。
城は近長谷寺背後の標高291m,比高195mの山頂に築かれており、南北に「く」の字状の主郭には中央左に基壇跡が残り、東下の曲輪に井戸跡と思われる凹部が3ヶ所ほどみられる。主郭西側には西の尾根を遮断する堀切があり、主郭北へ回り込むと北の曲輪と区画する大きな堀切が東西方向に走っている。