東阿倉川陣屋跡

ひがしあくらがわじんやあと(Higashi-Akuragawa Jinya Ruins)

【R-ME011】探訪日:2024/12.19

【R-ME011】東阿倉川陣屋跡 三重県四日市市万古町11-21

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-ME011】東阿倉川陣屋跡

   1726(享保11)年、加納久通が一万石で諸侯に列して東阿倉川に陣屋を構えたことに始まる。久通は和歌山藩士であったが、徳川吉宗に従って幕臣となり、千石から加増されて一万石となり諸侯に列した。所領は伊勢,下総,上野などにあったが、東阿倉川に陣屋を構えて八田藩となった。
 1793(寛政5)年には、3代・加納久周のときに若年寄となり、三千石を加増され一万三千石となる。1826(文政9)年、5代の久儔のときに上総国一宮へ陣屋を移し、東阿倉川陣屋は廃止となった。
 現在は宅地化されて、位置ははっきりしないが、宅地の一角にある小公園の辺りが米蔵跡とされている。船着き場から陸揚げされた米を納めていたという(ただし、地元豪商の米蔵ともいわれている)。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:中期
関連年号 1726年・1826年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
加納久通 **** 加納久周 **** 加納久儔 ****

 

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【R-ME011】東阿倉川陣屋跡

【R-ME011】東阿倉川陣屋跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

米蔵跡(右の石柱は門の跡という) 2本の石柱は当時のもの