源治山城(下野山城)跡
げんじやまじょう(しものやまじょう)あと(Genjiyama [Shimonoyama] Castle Ruins)
【C-ME144】探訪日:2024/10.31・12/19
三重県四日市市山城町
【MAP】
〔駐車場所〕
山城城,下野城,下野山城とも呼ばれる。建武年間(1334~38年)、見永(海老名)藤七郎秀宗が数々の戦功をたて足利尊氏からこの地を賜って築城したとされ、その後は歴代が居城した。しかし、1568(永禄11)年、織田信長の伊勢侵攻によって滅ぼされたという。
朝明川右岸(南側)の標高48m,比高40mほどの台地の東端部に位置し、現在は三岐鉄道により東西に分断されている。東側の城跡には、三方に土塁をめぐらした郭(東郭とした)があり、その北側には東西方向に深さ7mの深い堀切が残存している。また、西側の城跡には、コの字状の土塁をもつ主郭と思われる曲輪(西郭とした)とその南側にも空堀に囲まれた郭があり、南西にはしる空堀が南東に向かって落ちていく。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1334~38年 | 1568年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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見永秀宗 | **** | 織田信長 | OD04 |
源治山城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)