六代墓所
ろくだい ぼしょ(Grave of Rokudai)
【K-ME002】探訪日:2005/1.8
三重県松阪市嬉野森本町 日川寺 境内
【MAP】
〔駐車場所〕
平家滅亡後、日川の里に隠れ住んでいたと伝わる平維盛の子・六代とその郎党の墓とされる。六代は、平正盛から数えて直系の6代目に当たることに因んで名づけられた幼名で、実名を平高清という(以下では六代と記す)。平清盛の曽孫で平家嫡流である。
1183(寿永2)年、父・平維盛は平氏都落ちの際、都に慣れ親しんでいる妻を共に西国に落ち延びさせることは忍び難いとして、妻子を都に残した。六代は母と共に京都普照寺奥大覚寺北に潜伏していたが、1185(文治元)年12月、北条時政の捜索によって捕らえられた。清盛の曾孫に当たることから本来なら鎌倉に送られて斬首になるところであったが、文覚上人の助命嘆願があって処刑を免れ、その身柄は文覚に預けられることとなった。1189(文治5)年に六代は剃髪して妙覚と号す。
その後、『平家物語』などでは庇護者であった文覚が流罪となった後、弟子であった六代も捕らえられて処刑されたとするが、『吾妻鏡』などの確実な史料には処刑の事実は触れられておらず、処刑自体を疑問視する見解も存在する。さらに六代処刑を伝える諸書でも処刑された年,場所などがまちまちである。
この墓所は、文覚が流罪になった後、妙覚が斎藤五,斎藤六の兄弟と中川氏,折戸氏を伴い、伊勢へと落ち延び、森本村日川の里に隠れ住んだという伝承に基づくものである。
このほか、神奈川県逗子市にも六代の墓と伝えられる塚(市指定史跡)がある。