広永城跡
ひろながじょうあと(Hironaga Castle Ruins)
【C-ME143】探訪日:2024/10.31
三重県三重郡朝日町埋縄字口山田
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、横瀬頼直の居城であったとされ、1567(永禄10)年に織田方の滝川一益の攻撃により焼亡したという。
城域はカーブする伊勢湾岸自動車道の西側に位置し、東西約500m×南北約400mと広範囲で、丘陵南部に主郭があったと推定されている。その大半は昭和時代の宅地造成で消滅しているが、東側の一部(竹林や雑木林)が残されていた。ただ、この区域も伊勢湾岸自動車道(当時は第2名神高速道路)建設に伴い改変されている。
なお、工事前の発掘調査では、城跡としての堀切,土塁の一部とともに、予期しなかった古墳時代の6基の横穴墓群が発見されている。(広永横穴墓群については『広永横穴墓群・広永1号墳・広永城跡・広永遺跡発掘調査報告:2006年3月 三重県埋蔵文化財センター』を参照)
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1567年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
横瀬頼直 | **** | 滝川一益 | KI43 |
広永城の推定域(『広永城跡発掘調査~三重県埋蔵文化財センター2006年3月』に加筆)