春澄善縄卿宅跡
はるすみよしただきょう ていあと(Residence Ruins of Harusumi Yoshitada)
【R-ME010】探訪日:2024/10.2
三重県いなべ市藤原町長尾
【MAP】
〔駐車場所〕
築造年は定かではないが、参議に任じられ公卿に列した春澄善縄卿の邸宅があった地とされる。その後、彼の偉業をしのぶ郷土の人々によって春澄社が祀られ崇敬を集めてきた。1908(明治41)年、同社は猪名部神社に合祀され、現在は「春澄善縄卿宅址碑」が建つ。
春澄善縄は、平安時代初期から前期にかけての公卿・学者。もとは猪名部氏を名乗り、員弁郡を本拠地とする地方豪族の出身であった。幼少より学問を積み、菅原是善ら、時の大学者と文章道を通じて交流し、「在朝の通儒」(万事に通じた学者)と賞された学者になった。855(斉衡2)年にはわが国4番目の国史『続日本後紀』編纂の勅命を受ける。ともに撰者となった者じは藤原良房,参議の伴善男らがいたが、その終盤の実務は善縄のみの手に委ねられ、ついに869(貞観11)年、完成させた。
善縄は、国史編纂事業の最中の860(貞観2)年に参議に栄進し、朝政の中枢を担う公卿の列に加えられた。政争渦巻く平安初期の朝廷にあって、彼は生粋の学者として常に謹朴で、学者たちの争いにも孤高を守った。870(貞観12)年、病気により重態となる。同年2月19日に薨去。享年74。