桑部城跡

くわべじょうあと(Kuwabe Castle Ruins)

【C-ME141】探訪日:2024/10.31・11.4

【C-ME141】桑部城跡 三重県桑名市城山台82

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME141】桑部城跡

   築城年は定かではないが、『三国地志』には毛利次郎左衛門の居城、『桑名領古城図考』には南城を大儀須若狭守、北城を毛利次郎左衛門の居城と記されている。南北両城とも織田信長の伊勢侵攻により滅ぼされたとされる。その後、1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの際に、羽柴秀吉が改修を命じ、和睦した後には秀吉側の蜂須賀彦右衛門が居城したといわれる。
 城は、町屋川南岸に舌状に張り出した標高50m前後の低丘陵地の先端部に築かれ、2つの大規模な空堀によって3つの主な郭に分かれ、北の郭が桑部北城、中央の郭が桑部南城と呼ばれている。
 北城は一辺約50mのほぼ菱形をした郭で、西・南辺及び北辺の一部に高さ1~1.5mの土塁が巡っている。北・東辺は丘陵斜面を削平した切岸となっている。北東及び北西部に伸びる尾根とは堀切によって隔てられており、西側には帯状の腰曲輪が構築されていた。
 南城は約80m×40mの長方形状の郭で、1~1.5mの土塁が北辺以外に巡っており、南西隅には桝形状の虎口が設けられ、東側に派生する尾根とは堀切で隔てられていた。南城の南には、現在は稲荷社となっている約40m×20mの長方形の平坦地がつくられ、城域内の最高所の郭となっていた。
 また、発掘調査では、北城辺りから大量の弥生土器が検出され、桑部城跡には弥生時代にも遺跡があったことがわかっている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1570年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
佐藤秀勝 F8** 織田信長 OD04

佐藤秀道

F8**

 

【C-ME141】桑部城跡
 

 

【C-ME141】桑部城跡

 

桑部城縄張り図と航空写真(桑名市HP及びGoogleマップ,地理院地図より)

【C-ME141】桑部城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

桑部北城域 桑部北城域 桑部北城域 桑部北城域 桑部北城域 しろやま西公園にある説明碑(桑部南城域) 南の最高部にあった城山稲荷社