大矢知城跡

おおやちじょうあと(Oyachi Castle Ruins)

【C-ME125】探訪日:2024/10.2

【C-ME125】大矢知城跡 三重県四日市市大矢知新町

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME125】大矢知城跡

   築城年は定かではないが、伊勢国の守護被官の一人であった大矢知氏の居城とされる。1484(文明16)年、守護・一色義春の死によって一色氏が伊勢守護職を失うと、大矢知氏も小守護代の座を失う。その後、1568(永禄11)年の織田信長による北伊勢侵攻では、大矢知経頼は加木屋正次の調略により、萱生城の春日部氏を裏切り織田方に付き、柴田勝家の家臣となった。大矢知氏は伊勢国朝明郡大矢知村の発祥で源姓とも平姓とも出自ははっきりしないが、現在も三重県内、特に四日市市内に多く分布する姓である。
 城は朝明川南岸の標高約60mの丘陵上に築かれていたが、現在は朝明配水池はじめ周辺は宅地化がすすみ、遺構の確認は困難である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1484年

1568年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
一色義春 G351 大矢知経頼 **** 柴田勝家 G342

 

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