大井田城跡

おいだじょうあと(Oida Castle Ruins)

【C-ME122】探訪日:2024/9.6・10.2

【C-ME122】大井田城跡 三重県いなべ市大安町大井田2063

【MAP】

〔駐車場所〕城跡北の「いなべ市水辺の里公園」の駐車場を利用できる。

【C-ME122】大井田城跡

   築城年は定かではないが、1473(文明5)年頃に美濃の斎藤氏に対し1ヶ月余り防戦につとめたとの記録が残されている。城主としては栗田左衛門佐あるいはその家老の因入道道信の名がある。因道信は栗田左近大夫高実,栗田左衛門尉実秀の2代に仕えた家老であるが、1568(永禄11)年の織田信長による北伊勢侵攻の際に主家滅亡とともに討死したと伝えられる。
 城は宇賀川の南岸に川に沿って東西へ伸びた丘陵(標高74m,比高20m)の先端に築かれている。主郭は50m×70mほどの長方形で、南側には断続する土塁と井戸跡が残されている。現在は大井田城跡梅林公園として整備されている。主郭の東側には2段の腰曲輪があり、西側にも堀切を挟んでいくつかの屋敷地と思われる曲輪と空堀、西端には堀切が確認できる。道路を挟んで南側の台地も屋敷跡とされるが、現在は森林,畑地,墓地となり遺構は確認できない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1473年

 1568年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
栗田左衛門佐 **** 栗田高実 **** 栗田実秀 ****
因 道信 G*** 織田信長 OD04

 

【C-ME122】大井田城跡
 

 

【C-ME122】大井田城跡

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東側から見る 登城口 虎口 虎口の土塁 虎口の土塁 主郭南側の土塁 井戸跡 井戸跡 主郭 主郭 西の腰曲輪 西の腰曲輪 主郭の西側へ下りる 堀切 西端の堀切 道路の南側 道路の南側 道路の南側