猪飼城跡

いかいじょうあと(Ikai Castle Ruins)

【C-ME105】探訪日:2023/4.4・2024/9.26

【C-ME105】猪飼城跡 三重県桑名市多度町北猪飼46

【MAP】

〔駐車場所〕南の肱江川沿いの道路に路駐させていただく。

【C-ME105】猪飼城跡

   1331~36(元弘元~建武3)年頃、小串詮行によって築かれたとされる。小串氏は、のちに北勢四十八家のひとつとなり、6代続いた。1577(天正5)年には小串次郎右衛門常政が縄生城の戦いで戦死し、1578(天正6)年、小串詮通のとき織田信長の伊勢侵攻で落城し、小串氏は滅亡したという。
 城は肱江川と多度川に挟まれた丘陵の南に位置し、主郭の南東と北に小曲輪がみられる(南東の曲輪は下記縄張り図にはない)。また、主郭の北東には小型の堀切が設けられている。比較的広めの主郭は農地(果樹園)として利用されたようであるが、現在は竹林と雑草で覆われている。また、所々にみられる石積は、おそらく農地化の際に積まれた可能性が高い。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代~南北朝時代 戦国時代
関連年号 1331~36年 1577年・1578年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
小串詮行 **** 小串常政 **** 小串詮通 ****
織田信長 OD04

 

【C-ME105】猪飼城跡
   

 

【C-ME105】猪飼城跡

 

猪飼城縄張図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)

【C-ME105】猪飼城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

南からの遠景 ここをはいる 右へ入る 右の斜面を登る 東南隅の平坦地(北西から見る) 東南方向から主郭へ入る 主郭(9月は雑草だらけ) 石積みがあるが、おそらく後世のもの(この上に小屋がある) 主郭北東の堀切 主郭北東の堀切 堀切東側は急斜面(切岸) 堀切西側は主郭の北側 堀切西側は主郭の北側 堀切の北は腰曲輪 腰曲輪 腰曲輪の北側