浮野古戦場
うきのこせんじょう (Historic Battlefield of Ukino)
【B-AC005】探訪日:2015/9/20
愛知県一宮市千秋町浮野字海道23
【MAP】
〔駐車場所〕
1558(永禄元)年5月28日、清洲城主織田信長は、岩倉城主織田信安を攻撃するため兵を率いて浮野に進軍したが小競り合いに終わる。同年7月12日、信長は再び2000余りの兵を率いて浮野の陣を構えた。犬山城主織田信清が1000の兵を率いて信長に加勢し、信安の兵3000と浮野川を挟んで対峙。戦いは信長勢の勝利に終わり、信安勢を岩倉城まで追い詰めている。この戦いで討ち取られた首級は900余と言われ、うぐいす塚に葬られた。そこに古戦場碑が立てられている。
信安の家老の福田大膳正,岩倉方の武者奉行侍大将前田右馬允(前田利家の叔父)とその子源介,山内一豊の兄の十郎もこの戦いで討死した。また、豊臣秀吉の御台所ねねの父である林弥七郎は信安の家臣のうちで随一の弓の名手であったが、旧知の間柄で信長の鉄砲指南役であった橋本一色とわたり合い、鉄砲と弓で相打ちとなって双方ともに討死したとされている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 1558年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
織田信長 | OD04 | 織田信安 | OD02 | 織田信清 | OD02 |
福田大膳正 | **** | 前田右馬允 | MD03 | 前田源介 | MD03 |
山内十郎 | F943 | 林弥七郎 | **** | 橋本一色 | **** |
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▲浮野合戦関係略年表
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▲説明板
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