井伊直勝墓所〔可睡斎〕
いいなおかつ ぼしょ〔かすいさい〕(Grave of Naokatsu Ii [Kasuisai Temple])
【K-SZ050】探訪日:2024/5.11
静岡県袋井市久能2915-1
【MAP】
〔駐車場所〕可睡斎の駐車場を利用できる。
1662(寛文2)年7月11日、近江彦根藩,上野安中藩の藩主を務めた後、長男・直好の遠江掛川藩移封に従い、掛川城にて病死した井伊直勝の墓所である。享年73。墓所は掛川藩初代藩主の長男・井伊直好の墓所とともに可睡斎の境内にある。
1590(天正18)年、徳川四天王の一人・井伊直政の長男として遠江国浜松で誕生し、1602(慶長7)年、父の跡を継いで彦根藩主となった(直継と改名)。翌年から徳川家康の命を受け、西国に向けての防衛拠点としての彦根城の築城にとりかかり、1606(慶長11)年、居城を佐和山城から彦根城へ移した。しかし、若年,病弱とされた直継には個性の強い配下の家臣をまとめきれずにいた。
1614(慶長19)年、大坂の陣では家康は直継の名代として、弟・直孝を井伊軍の大将に指名し、直継は安中の関所警護を務めた。大坂冬の陣後、家康は直孝に正式に井伊氏の家督を継がせ、直継は上野安中藩3万石を分知された(直継から直勝と改名)。この分割では、井伊谷以来の家臣は直継に、甲斐武田氏の遺臣などは弟の直孝に配属されている。
1632(寛永9)年に隠居して長男・直好に家督を譲るが、直好が三河国西尾藩,遠江掛川藩へと移封されると、隠居である直勝もこれに従い、遠江掛川城で病死した。病弱といわれていたが、結果として井伊宗家の直孝より長命であった。