蜂前神社
はちさきじんじゃ(Hachisaki Shrine)
【S-SZ006】探訪日:2017/8/18
静岡県浜松市北区細江町中川6915
【MAP】
〔駐車場所〕
応神天皇の時代に八田毛止恵が勅命によって遠江国へ下向して、合計123町歩あまりを開墾して八ケ前(はちがさき)の地に樋速日命を勧請したのが創祀とされる。蜂前は八ケ前が転訛したものと考えられる。『日本三代実録』866(貞観8)年12月26日の条(ここでは鳥飼神とある)や『延喜式』(ここでは現社号名)にも記録に残る。
戦国時代になると、今川家,井伊家の崇敬があり、社領も寄せられた。当社には、「井伊直虎関口氏経連署状」として井伊直虎の花押のある唯一の古文書が伝わっている。1566(永禄9)年、当時遠江を支配していた今川氏真による「徳政令」が領主の直虎に押し付けられる。直虎は当初この命令を拒否したが、圧力に対抗しきれず、2年後ついに徳政令を受け入れ、結果領主の座を追われることになる。その際に、直虎と争ったとされるのが当地の市場を管理していた当社の祝田禰宜であった。戦国武将同士の争いに介入していたところに、往時当社の影響力の大きさが読み取れる。
安土桃山時代になると、徳川家康が伊奈忠次に命じて社領5石を寄進した。江戸時代には、これを朱印に改め、明治まで続いている。