青木氏館跡(陣屋跡)

あおきし やかたあと(じんやあと)(Aoki Clan Residence Ruins [Aoki Jinya Ruins])

【R-GF019】探訪日:2024/2.27

【R-GF019】青木氏館跡(陣屋跡) 岐阜県瑞穂市居倉

【MAP】

〔駐車場所〕

   築造年は定かではないが、江戸時代に美濃出身の旗本・青木可直によって設けられた。当初、可直は池田輝政に仕え、関ヶ原の戦い後に輝政が姫路藩に加増転封となると、可直もそれに従った。
 1610(慶長10)年、徳川家康の直臣となり美濃国内3,000石が安堵される。1614(慶長19)年の大坂冬の陣でも徳川方の永井直勝の与力として参陣している。
 一方、長兄の青木一重は、当初は徳川家康に仕えたが、1573(元亀3)年に出奔し、丹羽長秀や豊臣秀吉に仕えて1万石を領し、関ヶ原の戦いでも西軍として大坂城の守備を担い、戦後も引き続き豊臣家に仕え、大坂の陣では徳川方との外交役を担った。冬の陣後、一重は和議の礼謝使節として徳川方へ派遣されたが、「もし大坂に戻れば、家康に近侍している弟の可直を誅殺する」と警告されたために、大坂城には戻れず、大坂夏の陣にも参加しなかった。戦後、減封はなく、父の遺領約2,000石を継ぎ、併せて1万2,000石となり、摂津国に麻田藩を立藩した。後に2,000石を弟の可直に分与して1万石となった。
 可直は2,000石とそれまでの所領を併せて5,000石の旗本となった。また、可直の子の重兼は兄・一重の養嗣子となり麻田藩主を継いでいる。可直の旗本家は次男の直澄が家督を継ぎ、以降、明治維新まで続く。
 旗本青木氏陣屋は矢田神社の北東側一帯に築かれていたとされるが、現在は宅地や田畑となって遺構は残されていない。民家の脇に小さな石碑が建てられている。

【史跡規模】

【指 定】瑞穂市指定史跡

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 江戸時代:前期
関連年号 1610年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
青木可直 TJ06 青木一重 TJ06

 

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