打下古墳
うちおろしこふん(Uchioroshi-Kofun Tumulus)
【K-SG013】探訪日:2019/8.8
滋賀県高島市勝野
【MAP】
〔駐車場所〕
明神崎の北麓の日吉神社背後の山腹に築造された古墳である。上水道配水施設の工事中に頭骨など良好に残存した石棺が発見された(発見時は事件性が疑われ、警察に通報されたという)。墳墓自体は原型をとどめておらず、古墳形状は不明であるが、箱型の石棺内面には赤色顔料のベンガラが塗られており、遺骨の周辺からは水銀朱も検出されている。石棺内寸は長さ205cm,最大幅42cm,高さ30cmで、棺内には、鉄刀,鉄剣,鹿角装身具が納められていた。また、棺外には鉄鏃一束(10本程度)が発見され、鉄鏃の型式より古墳時代中期の5世紀前半頃の古墳と推定されている。
埋葬方法は、石室がなく箱型石棺が直接埋葬されるタイプで、これは日本海沿岸の丹後地方に多く見受けられるものであり、地域間の交流があった可能性も考えられている。
また、残っていた被葬者の遺骨から、身長155㎝前後、年齢が40~60歳前後の男性と推定され、頭蓋骨から復顔を実施したところ、偏平な顔立ちの中年男性が浮かび上がった。被葬者は、陸路と琵琶湖上の交通要衝である明神崎を支配していた豪族であったと推定されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:中期 |
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関連年号 | 5世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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織 |