北野廃寺跡
きたのはいじあと(Kitano Temple Ruins)
【T-AC102】探訪日:2023/9/7・12/27
愛知県岡崎市北野町郷裏40-69
【MAP】
〔駐車場所〕南大門跡横に駐車場がある。
飛鳥時代前期(7世紀)、物部氏の氏寺として碧海台地に立地され、平安時代中期(10世紀後半)に廃寺となったと推定されている。真福寺などと並び、三河最古の古代寺院の1つである。
境内は、東西126.5m,南北140mにおよび、塔,金堂,講堂の基壇と廻廊跡の一部そして寺地の四方を画する土塁が検出されている。中門,南大門,僧房跡は基壇が削平されていたため、その位置は推定となるが、堂,塔の配置はそれぞれが一列に並ぶ四天王寺式伽藍配置となっている。塔跡は基壇が削平され、心礎以外の礎石はすべて失われていたが、基壇地覆石の抜き取り跡から一辺11.35mと推定される。また、半地下式に据えられた心礎に刳り込まれた柱座径から、法隆寺五重塔に近い規模と推定されている。金堂基壇は東西15.3m,南北13.2mで塔の規模に対してやや小規模である。講堂跡は基壇の東西30.15m,南北16.25mで、礎石および抜き取り穴の位置から建物平面は桁行8間、梁間4間である。しかし、講堂跡の中心線は塔,金堂の中心を結ぶ伽藍中軸線よりも一間ほど西へずれている。
出土遺物には瓦,瓦塔,塼仏,磬形垂飾,鉄釘などと、須恵器,灰釉陶器,彩釉陶器などがある。鐙瓦の瓦当紋はこの地域でしか見られない高句麗の影響を強く受けたものであり、畿内とは別の経路で造寺技術が移入された可能性を示している。青銅製磬形垂飾は、本寺のほかには正倉院でしか確認されている珍しいものである。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1929年12月17日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 平安時代:中期 |
関連年号 | 7世紀 | 10世紀後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
物部氏 | MB** |