崇光天皇大光明寺陵
すこうてんのう だいこうみょうじのみささぎ(Daikomyoji Mausoleum of Emperor Suko)
【K-KT035】探訪日:2015/10.3
京都府京都市伏見区桃山町泰長老
【MAP】
〔駐車場所〕
1398(応永5)年1月31日に宝算65で崩御した北朝第3代(『本朝皇胤紹運録』では98代)・崇光天皇〔在位:1348~51年〕の陵である。宮内庁上の形式は円丘。光明天皇陵,治仁王墓と同兆域である。
諱は益仁、後に興仁といい、光厳天皇の第一皇子である。光明天皇の譲位を受けて践祚したが、南朝と足利尊氏の和平である正平一統が成立すると、後村上天皇によって廃位された。さらに、正平一統が破綻すると、光厳上皇,光明上皇,直仁親王とともに南朝によって拉致された。帰京後、急遽践祚した弟の後光厳天皇との皇位継承争いにも敗れ、光厳法皇から継承した伏見荘に逼塞し、失意のうちに崩御した。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 1398年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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崇光天皇 | K401 |