冷泉天皇櫻本陵
れいぜいてんのう さくらもとのみささぎ(Sakuramoto Mausoleum of Emperor Reizei)
【K-KT045】探訪日:2015/10.4
京都府京都市左京区鹿ケ谷法然院町
【MAP】
〔駐車場所〕
1011(寛弘8)年11月21日に62歳で崩御した第63代・冷泉天皇〔在位:967~969年〕の陵である。宮内庁上の形式は円丘。『日本紀略』には桜本寺前野で火葬し、その山傍に遺骨を埋葬したと記され、桜本寺の遺址から、明治期に現陵に治定された。
憲平(のちの冷泉天皇)は村上天皇の第2皇子であったが、異母兄の広平親王を押しのけて生後間もなく立太子した。時の権力者である藤原実頼,師輔の兄弟の力が働いていたと思われる。967(康保4)年、村上天皇の崩御を受けて18歳で即位した。気の病みがあり皇太子の時代から問題になっていたことから、補佐として藤原実頼が関白につき後継の検討に入っている。969(安和2)年8月、同母弟の円融天皇に譲位し、冷泉は太上天皇となる。譲位の後、上皇生活を42年過ごした後、東三条南院にて62歳で崩御した。記録では死因は赤痢とされている。この間、花山天皇をはじめとする皇子女や弟円融天皇、甥の一条天皇など多くの親族に先立たれている。
冷泉天皇には、皇太子時代から気の病ゆえの奇行が目立ったとされているが、皇統が冷泉天皇から円融天皇の系統に移ったことを正統化すると政治的思惑があったとも指摘されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:中期 |
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関連年号 | 1011年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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冷泉天皇 | K324 |