仁明天皇深草陵
にんみょうてんのう ふかくさのみささぎ(Fukakusa Mausoleum of Emperor Ninmyo)
【K-KT037】探訪日:2015/10.3
京都府京都市伏見区深草東伊達町
【MAP】
〔駐車場所〕
850(嘉祥3)年5月6日に41歳で崩御した第54代・仁明天皇〔在位:833~850年〕の陵である。宮内庁による形式は方形。ただ、ここは文久年間(1861~63年)の修復の際に造られたもので、本来の深草陵は同区深草瓦町の善福寺周辺と考えられている。
仁明天皇は嵯峨天皇の第二皇子で諱は正良。833(天長10)年2月28日、叔父にあたる淳和天皇の譲位を受けて即位した。当初、淳和天皇の皇子・恒貞親王を皇嗣に立てたが、842(承和9)年の承和の変により恒貞は廃せられ、代わりに仁明天皇の第一皇子の道康親王(文徳天皇)が立太子した。これには自らの息子に皇位を継がせたい帝の意思と、道康親王の伯父である藤原良房の陰謀があったと言われている。
また、天皇は幼少時から病弱であったとされ、『続日本後紀』には7歳の頃からの様々な病歴が記載され、即位後もしばしば薬(丹薬・石薬)の調薬をして医師並みの知識を有していたとされる。850(嘉祥3)年5月4日に病により、文徳天皇に譲位。太上天皇位に就くことなく、2日後に崩御した。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:前期 |
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関連年号 | 850年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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仁明天皇 | K317 |