森之城跡
もりのしろあと(Morino Castle Ruins)
【C-SZ105】探訪日:2023/10.18
静岡県周智郡森町森字森山
【MAP】
〔駐車場所〕南の金山神社に駐車させていただく。
築城年は定かではないが、『駿河志料』によれば、永正年間(1504~20年)に駿河草薙神社神主の大森泰守が、今川氏親の命によって森之城を守衛した、という。氏親はさらに西進して斯波氏の軍勢と戦ったのではないかと考えられている。
さらに、武田信玄没後の徳川家康の巻き返し攻防戦において、徳川勢と武田勢とが対峙した地域でもある。
城は草ヶ谷城の北東、ほぼ南北に連なる標高114m,比高74mの山稜を利用した6つの郭から成る。南の金山神社の背後の道を東に進んだ所の防獣柵から城域へと向かう。
南から2郭,主郭が南北に現れる。主郭は広い平坦地で段差をもつが、特に防御性を重視しているとは思えない。南の2郭は小規模な曲輪ながら2本の堀切がみられる。主郭から尾根伝いに北へ進むと、3郭,4郭に出る。3郭と4郭の間、4郭の北側にも堀切があり、4郭の南と北東に直径7mほどの穴状遺構がみられ、狼煙場であった可能性も考えられる。4郭の先の広い平坦地が5郭であるが、ここも防御遺構は特に見当たらない。さらに北へ向かったところに円形上の高まりがあり、ここが6郭とされる。形状から古墳と見ることもできる。
全体的に広範囲には及ぶもので城としての加工度は低く、兵力収容のための急造駐屯地的な陣城であったと考えられる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1504~20年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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大森泰守 | **** | 今川氏親 | G360 | 徳川家康 | TG01 |
主郭から6郭へ行き、最後に2郭へと向かったのだが、2郭で突然、2匹のスズメバチに襲われ1匹に後頭部を刺された。巣が近くにあったのかもしれないが、全く気付かず不意打ちを食らったかたち。刺された時の痛みはなかったが、刺されたことは確実と思い(下山途中には徐々に腫れてきた)、急ぎ車に常備していたムヒを塗るとともに冷感シートで後頭部を冷やした。アレルギー体質だと、即~30分ほどでショック(アナフィラキシー)が現れるようであるが、幸い少しの痛みと腫れ(コブ)でおさまったが、名古屋まで運転して帰ることを考えると大事をとって、近くの病院で診てもらうことにした。医者は「刺されてから40分近く経って症状が出ないから大丈夫」と言われ塗り薬だけを処方されたが、後日、掛り付け医に聞いたところでは、30分後と3時間後が危険時間といわれ、30分で症状がなくても安心ではない。最良の対策は刺されたら、患部を水洗(ハチの毒は水溶性)→ポイズン・リムーバーで毒抜き(口で吸わない)抗ヒスタミン剤あるいはステロイド剤を塗ること。さらに2回目に刺された時のためにアドレナリン自己注射薬を持っておくべきと忠告された。なお、私の場合、刺された箇所の腫れが消えるには1ヶ月以上かかっている。
森之城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)