杭瀬川古戦場
くいせがわ こせんじょう(Historic Battlefield of Kuisegawa)
【B-GF004】探訪日:2023/9.25
岐阜県大垣市南一色町
【MAP】
〔駐車場所〕日吉神社前に駐車場がある。
1600(慶長5)年9月14日(10月20日)、関ヶ原の戦いの前哨戦として、西軍の家老・島左近清興が士気回復のため東軍に奇襲攻撃をかけた戦い。局地戦ではあったが、西軍が勝利した。戦闘場所については川筋は変化するため渡河場所などは特定されておらず、正式には古戦場という扱いはされていない(本サイトでは古戦場と呼ぶ)。
9月14日、東軍の総大将である徳川家康が美濃赤坂に軍を率いて到着した。このため、西軍の中で動揺が起こり、一部の兵士の中には逃亡する者も現れたため、島清興が石田三成に進言し戦勝での士気回復をはかった。島清興は生い茂る森林の中に一隊を伏せて伏兵とし、残る部隊で対岸へ渡って、東軍の中村一栄隊の前で苅田を始めた。この挑発に中村一栄隊の将士と小競り合いが始まり、まもなく有馬豊氏隊も参加して乱戦となった。島軍はある程度戦うと、敗走を装って退却をはじめ、追撃してくる中村・有馬両隊を伏兵のいる森林に釣り出した。中村・有馬両隊は横撃を受けて壊乱状態に陥り、さらに明石全登の参戦により両隊は敗走。このとき、中村家の家老・野一色助義が戦死するなど、40人ほどが西軍によって討ち取られたという。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1600年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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島 清興 | **** | 中村一栄 | **** | 有馬豊氏 | G853 |
野一色助義 | **** |