古木江城跡
こきえじょうあと (Kokie Castle Ruins)
【C-AC214】探訪日:2018/6/2
愛知県愛西市森川町村仲
【MAP】
〔駐車場所〕
1567(永禄10)年頃、織田信長の弟織田彦七郎信興によって木曽川,長良川間の中洲に築かれたとされる城で、伊勢長島の一向宗の抑えとしての機能を持っていた。
1570(元亀元)年9月、本願寺と信長との間で石山合戦が始まると、長島でも門徒勢が蜂起し、長島城を落した門徒勢は11月16日、古木江城を襲撃した。信興は信長や桑名城の滝川一益に援軍を要請したが、信長は浅井長政,朝倉義景の軍勢と延暦寺の僧兵によって大津に足止めされており、一向宗に攻められて籠城していた一益も援軍を出すことができなかった。6日後の11月21日に古木江城は落城、『信長公記』によれば、信興は櫓に上って自害したとされる(地元では城外で討たれたと伝わる)。信長は岐阜から津島へ出陣し城を奪回するが、その後も一向宗徒との対立は続き、1574(天正2)年、3度目の攻撃で7万の兵を動員し、多くの犠牲者を出すなか、2万の門徒を一人残らず斬殺し、ようやく一向宗鎮圧に至った。その後、城も廃城となった。
現在、城があったと伝わる周辺は農地(レンコン畑)などになっており、遺構は残されていない。城の縄張なども不明である。なお、現地に鎮座する富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられている。