光恩寺
こうおんじ(Koon-ji Temple)
【T-AC106】探訪日:2023/10.30
愛知県豊田市竹元町南嶋4 <📲:0565-52-2928>
【MAP】
〔駐車場所〕光恩寺横に参詣者用駐車場がある。
1188(文治4)年、紀州国藤白郷よりこの地に定住した鈴木善阿弥(重康,重善)を開基として築かれ、当初は天台宗の寺院であった。山号は鈴木山、初代は善阿弥の3男・重基(了慧)とされる。
一般的には、鈴木重善は奥州に落ち延びた源義経に臣従するために西に向い、三河国矢作で脚を痛めて休養中に義経討死の報を受けて出家した(善阿弥と称す)といわれるが、義経討死(1189年)と光恩寺創建の年代が矛盾し、鎌倉側の包囲網のため義経追従を断念してこの地方に土着したか、西国での平氏討伐の功により鎌倉側よりこの地に所領を授けられたと考えるのが妥当である。
寺は了教の時代(年代不詳)に天台宗から浄土真宗に改宗した。天保年間(1831~45年)、了観の時に現在の本堂に改築され、この頃、三河国碧海郡の西端藩とのつながりから紫幕及び屋根瓦に本多家の立ち葵紋の使用を許されている。安政年間(1855~60年)より1872(明治5)年までの間、了観による寺子屋「呉竹園」が開かれていた。現在の本堂は1991(平成3)年に了淳によって大改修されている。
なお、光恩寺を含む周辺一帯には鎌倉時代初期より竹村城が築かれていた。