後一条天皇菩提樹院陵

ごいちじょうてんのう ぼだいじゅいんのみささぎ(Bodaijuin Mausoleum of Emperor Goichijo)

【K-KT046】探訪日:2015/10.4

【K-KT046】後一条天皇陵 京都府京都市左京区吉田神楽岡町1-25

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT046】後一条天皇陵

   1036(長元9)年5月15日に数え29歳で崩御した第68代・後一条天皇〔在位:1016~36年〕の陵である。一条天皇の第二皇子で母は藤原道長の女・中宮彰子。諱は敦成。道長にとって待望久しい外孫皇子出生であった。道長の娘で叔母にあたる藤原威子(9歳年上)を中宮としたが、皇子女は章子内親王と馨子内親王の2人のみで世継ぎの皇子には恵まれぬまま崩御した。死因は糖尿病によるものと考えられている。
 突然の崩御であったため、譲位の儀式が間に合わなかったという。『日本紀略』『今鏡』では、遺詔により喪を秘して弟の敦良親王への譲位(後朱雀天皇)の儀を行ったとされ、これが在位中に天皇が崩御した場合に喪を秘して譲位の儀を行い、その後に上皇としての葬儀が行われるようになった先駆とされる。
 菩提樹院陵には、後冷泉天皇の皇后となった娘の章子内親王とともに合葬されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:中期
関連年号 1036年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
後一条天皇 K326 章子内親王 K326

 

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