後冷泉天皇皇后章子内親王菩提樹院陵
ごれいぜいてんのうこうごう しょうしないしんのう ぼだいじゅいんのみささぎ
(Bodaijuin Mausoleum of Princess Shoshi, the Empress of Emperor Goreizei)
【K-KT047】探訪日:2015/10.4
京都府京都市左京区吉田神楽岡町1-25
【MAP】
〔駐車場所〕
1105(長治2)年9月17日に享年80で崩御した章子内親王の陵である。章子内親王は後一条天皇第一皇女で第70代・後冷泉天皇中宮となる。高貴で温順な性格の美しい皇女であったという。
1036(長元6)年に父・後一条天皇と母・中宮威子が相次いで崩御し、幼くして両親と死別した。祖母(母方では伯母)の上東門院彰子(藤原道長の女)の庇護を受けて成長し、12歳で皇太子・親仁親王(のちの後冷泉天皇)に入内した。1045(寛徳2)年、親仁親王の受禅に伴って女御宣下を受け、1046(永承元)年に中宮に冊立される。1068(治暦4)年に皇太后となるが、その2日後に後冷泉天皇が崩御した。翌1069(延久元)年に落飾、太皇太后となり、1074(延久6)年に院号宣下を受けて、以後は二条院と称した。夫帝との間には子は恵まれなかった。
陵墓には父の後一条天皇とともに合葬されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:後期 |
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関連年号 | 1105年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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章子内親王 | K326 | 後一条天皇 | K326 |