大須観音

おおすかんのん(Oshu Kannon)

【T-AC090】探訪日:2023/2.8

【T-AC090】大須観音 愛知県名古屋市中区大須2丁目21-47 <📲:052-231-6525>

【MAP】

〔駐車場所〕駐車場はないため、最寄りのパーキングを利用する。

【T-AC090】大須観音

    寺号は北野山真福寺宝生院、真言宗智山派の別格本山で本尊は聖観音である。宗教法人としての公称は「宝生院」であるが、一般には「大須観音」の名で親しまれている。日本三大観音の1つともいわれる観音霊場でもある。
 建久年間(1190~99年)に建立された尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった中島観音が発祥であるという。1324(元亨4)年に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建され、1333(元弘3)年に別当寺として能信上人が創建した真福寺とその塔頭宝生院が当寺の始まりである。そして、摂津国四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとする。その後、後村上天皇により伽藍が建立され、勅願寺となっている。
 戦国時代には、織田信長により寺領500石が寄進され、1612(慶長17)年には徳川家康の命令で犬山城主・成瀬正成によって宝生院は本尊や真福寺文庫と共に大須郷から現在地に移転する。1815(文化12)年には五重塔が建立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置された。
 1892(明治25)年3月21日には、境内にあった芝居小屋裏手からの出火により本堂,五重塔と仁王門を焼失した(大須の大火)が、翌月には再建が開始された。本堂と仁王門は再建されたが、五重塔は再建されなかった。
 太平洋戦争中の1945(昭和20)年3月19日の名古屋大空襲で2度目の焼失。戦後の1949(昭和24)年に仮の本堂と仁王門が建てられたが、資金難で再建が大幅に遅れ、完成をみたのは1970(昭和45)年である。また、当初の再建計画では回廊や五重塔も建設予定であったが、資金不足で五重塔などの再建は現在にいたるまで立ち消えた状態である。
 真福寺文庫(大須文庫)は、醍醐寺,根来寺と共に日本三経蔵の1つ。あるいは仁和寺,根来寺と共に本朝三文庫の1つと称される。多くの国宝,重要文化財を収蔵し、「真福寺本」「大須本」とも呼ばれている。国宝の『古事記』は「真福寺本古事記」として知られて、同書の現存最古の写本である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】・『古事記』賢瑜筆 3帖

     ・『漢書食貨志』 第四 1巻

     ・『琱玉集』巻第十二、第十四 天平十九年書写奥書 2巻

     ・『翰林学士詩集』 1巻

【国重文】・絹本著色仏涅槃図    ・将門記残巻 承徳三年書写奥書 1巻

     ・尾張国解文 残巻 1巻   ・七大寺年表 永万元年書写奥書 2巻

     ・日本霊異記 巻中下 2巻  ・口遊 弘長三年書写奥書 1冊

     ・倭名類聚抄(抄本) 弘安六年円朝書写奥書 1冊  ・空也誄 1巻

     ・扶桑略記 2帖          ・古事記上巻抄 1巻

     ・宋刊本 玉篇 1冊     ・宋刊本 新雕雙金 1冊

     ・宋刊本 大宋僧史略 1冊  ・宋刊本 広韻 上声 1冊

     ・宋刊本 礼部韻略 3冊   ・宋刊本 紹聖新添周易神殺暦等残巻 1巻

     ・本朝文粋(一括指定)  ・熊野三山関連資料(一括指定)

     ・往生伝(一括指定)   ・弘法大師伝記類(一括指定)

関連時代 鎌倉時代 江戸時代:前期 江戸時代:中期 明治時代
関連年号 1190~99年・1333年 1612年 1815年 1892年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
後醍醐天皇 K501 能信上人 **** 成瀬正成 F724

 

【T-AC090】大須観音
 

 

【T-AC090】大須観音

『尾張名所図会』に描かれた大須真福寺と国宝の真福寺本古事記(右上)

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仁王門 仁王門