加藤高明少年時代住居地跡
かとうたかあき しょうねんじだい じゅうきょあと(Residence Ruins Where Takaaki Kato Lived in Childhood)
【R-AC056】探訪日:2022/10.19
愛知県名古屋市中区栄1丁目24
【MAP】
〔駐車場所〕
第24代内閣総理大臣となった加藤高明が1867(慶応3)年から1873(明治6)年までの少年時代を過ごした住居地跡である。
高明は1860(万延元)年、尾張藩佐屋代官所手代・服部重文と久子夫妻の次男として佐屋に生まれた(幼名は総吉)。1872(明治5)年に祖母・加奈子の姉・あい子の嫁ぎ先である加藤家に養子に入る。1874(明治7)年には高明と改名し、旧制愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校),名古屋洋学校を経て、1881(明治14)年に東京大学法学部を首席で卒業した。その後、三菱に入社しイギリスに渡り、帰国後は三菱本社副支配人の地位につき、岩崎弥太郎の長女・春路と結婚した。
1887(明治20)年より官界入りし、外相・大隈重信の秘書官兼政務課長や駐英公使を務め、その後も外相を何度か歴任したのち、1924(大正13)年には第24代内閣総理大臣に就任。普通選挙法,治安維持法の制定ど明治・大正の外交・政治に大きな功績を残した。首相在任中の1926(大正15)年に肺炎をこじらせ67歳で死去した。
現在、住居地跡はビルや駐車場などとなり、遺構は残されていない。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:後期 | 明治時代 |
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関連年号 | 1867年 | 1873年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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加藤高明 | F*** |
加藤高明(左:ロンドン公使時代 右:晩年)