佐脇刀祢太夫墓所
さわきとねだゆう ぼしょ(Grave of Tonedayu Sawaki)
【K-AC220】探訪日:2023/6.17
愛知県豊川市御津町下佐脇市場
【MAP】
〔駐車場所〕
佐脇城の最後の城主で、1575(天正3)年の長篠設楽原の戦いで討死した佐脇刀祢太夫の墓とされる。
戦国時代、東三河は今川氏と徳川氏の覇権争いの場となり、佐脇城は今川氏真と徳川家康の間で争奪戦が繰り返され、最後は、1564(永禄7)年、勢いの衰えた今川氏から家康が再々度奪い返し、佐脇刀祢太夫を城主として入れた。刀祢太夫は藤八兵衛と称し、長篠設楽原の戦いでは奥平九八郎の与力として武田軍と戦い討死した。
石塔は、台石が約80㎝の方形,塔身部の高さ約43㎝,笠幅約93㎝と、大型ではないが重厚感をもつ。「村中安全」と彫られた最下段の石材は、後世に付け加えられたものである。
石塔の左手には役行者の石像が、右手には1700(元禄13)年の庚申様の文字碑と、1710(宝永7)年の西国三十三所観音碑が並んでいる。
【史跡規模】 |
【指 定】豊橋市指定史跡(1980年9月1日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1575年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
佐脇刀祢太夫 | **** |