伊木山城跡

いぎやまじょうあと (Igiyama Castle Ruins)

【C-GF021】探訪日:2016/4/2

【C-GF021】伊木山城跡  岐阜県各務原市鵜沼

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF021】伊木山城跡

   1561(永禄4)年、織田信長の美濃攻めに従軍し功をあげた香川長兵衛忠次が、この地の名に因んで伊木の苗字を授けられ伊木忠次と改名し、木曽川北岸に聳える標高173mの伊木山山頂に伊木山城を築いた。対岸の犬山城と鵜沼城とのつなぎの城として、重要な働きをもっていた。伊木山自体は比較的大きな独立丘陵であるが、城が築かれているのは山頂部のごく一部であり、発掘調査では石垣などの遺構が見つかっているが、大半は埋め立てられている。山頂にはかつて航空機監視施設があり、無線塔が建っている。現在、城址周辺は「いこいの森伊木の森」として整備されている。
 忠次は、信長の家臣である池田恒興に転仕し、恒興の死後も池田輝政に仕えたが、1590(天正18)年、輝政が三河国吉田城城主となると、その支城である田原城主となり、伊木山城は廃城となった。さらに、1601(慶長6)年、関ヶ原合戦の功により輝政が播磨国姫路城主となると、伊木忠次も筆頭家老として播磨国三木城主となっている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1561年 1590年・1601年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信長 OD04 伊木忠次 **** 池田恒興 KI18
池田輝政 KI18

 

【C-GF021】伊木山城跡
 岐阜市内のいくつかの城跡と岐阜城を訪れた後、夕暮れ近くの探訪となり、かなりの速足で登城したが、途中、道を間違えたりして息も切れ切れ山頂に到着。残念だったのは、山頂に電波塔があり趣を損ねたのと、期待した岐阜城がこの山頂からは臨むことができなかったことである。

 

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▲案内図(山頂)

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