大和田城跡
おおわだじょうあと(Owada Castle Ruins)
【C-AC597】探訪日:2023/5.2
愛知県新城市作手大和田大屋貝津
【MAP】
〔駐車場所〕城跡の上の林道に駐車スペースがある。
段戸城ともいう。築城年は定かではないが、標高370m,比高300mの山腹に築かれた菅沼源助の居城である。1562(永禄5)年、奥平六衛門吉保の居城となり、1573(天正元)年の見代・宇津木の戦い(新城市作手保永字滝坂)の後に廃城になったとされる。現在は山林となり、曲輪,土塁、また曲輪周辺には石積みが多く残されている。猪垣と思われる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1562年・1573年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
菅沼源助 | G139 | 奥平吉保 | KD1* |
県道435号線からの林道に入り城跡近くへ行くと駐車できるスペースがある。城跡へは斜面を10mほど下ることになる。思いのほか広い曲輪(単郭)で石積みが多く用いられている。空堀は見受けられなかったが、切岸は鋭く、踏み外したら一気に下まで落ちる気がした。
大和田城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』より)