上笠田城跡

かみかさだじょうあと(Kamikasada Castle Ruins)

【C-ME107】探訪日:2023/4.4

【C-ME107】上笠田城跡 三重県いなべ市員弁町上笠田字城下

【MAP】

〔駐車場所〕踏切の西側に若干の駐車スペースがある。

【C-ME107】上笠田城跡

   築城年は定かではないが、建武年間(1334〜38年)に南朝に仕えてこの地を賜わった多湖大蔵允によって築かれたとされる。
 永禄年間(1558〜70年)頃の城主は飯田左衛門尉または飯田左馬助であったが、1567(永禄10)年、滝川一益の北勢侵攻により諸城主とともに降伏し、翌1568(永禄11)年には織田信長により滅ぼされたという。
 城は比高8mほどの平山城で、江戸時代に設けられた六把野用水によって分断されており、用水路と三岐鉄道北勢線の間に残された主郭には西側に南北に長い土塁が設けられ、最高部に城山稲荷が祀られている。また、用水路をはさんだ反対側の民家にも土塁が残されている。
 本城の南東約950mのところに下笠田城跡がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号

1334〜38年

1558〜68年・1568年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
多湖大蔵允 **** 飯田左衛門尉 **** 飯田左馬助 ****
滝川一益 KI43 織田信長 OD04

 

【C-ME107】上笠田城跡
 

 

【C-ME107】上笠田城跡

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南西から見る 西から見る 東側に入り口がある(入り口に城址稲荷大明神の碑がある) 六把野用水によって分断されている 主郭虎口 主郭 主郭の西側に土塁が続く 土塁の北側(稲荷大明神が見える) 城址稲荷大明神 城址稲荷大明神 北から主郭の南を見る 北から主郭の南を見る 土塁上から主郭の南を見る 土塁上から主郭の南を見る 東側 西側(線路側)の切岸 線路が見える 南側の堀 南の道路側(堀跡?)