大城戸館跡
おおきどやかたあと(Okido Residence Ruins)
【R-SZ032】探訪日:2023/4.9
静岡県周智郡森町円田1374
【MAP】
〔駐車場所〕
遠江小国一宮に参向する勅使の御座所(旅館)で、出雲国造家の分脈とされる北嶋孫左衛門家があったとされる。「大城戸」は「王家戸」に由来するという。
遠江小国神社は、社伝によれば、555(欽明天皇16)年に現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したため、勅使が遣わされ社殿が造営されたのに始まるという。また、701(大宝元)年には勅使が参向し十二段の舞楽が奉じられたという。
小国神社が遠江国一宮として定着した頃、1082(永保2)年に神主職に清原則房が補任され、円田郷の大城戸を館としたと推定される。深養父と別称されたが、のちに粟倉殿と呼ばれるようになった。翌1083(永保3)年には、遠江国司・藤原惟信が宮司職に補任された。清原氏は、代々小国神社(神領と領民)の実質的支配者として、散在していた神田を国衙領や他荘園を交えないで一円化(円田化)し、その経済基盤を確立した。また、円田用水を整備し、広大な水田を開発したと見られる開発領主である。
大城戸館は太田川に臨む微高地上に築かれ、東西70m×南北115mほどの規模であったと考えられている。敷地内には白髭神社が祀られ、勅使井戸といった関連名称が残されている。
【史跡規模】 |
【指 定】森町指定史跡(2017年2月27日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 平安時代:中期 |
関連年号 | 701年 |
1082年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
北嶋孫左衛門 | IZ05 | 清原則房 | KH01 |
大城戸遺跡平面図(現地説明板に加筆)