白鳥塚古墳〔志段味古墳群〕
しらとりづかこふん〔しだみこふんぐん〕(Shiratorizuka-Kofun Tumulus [Shidami-Kofun Tumulus Group])
【K-AC095】探訪日:2020/1.30・2023/4.10
愛知県名古屋市守山区
【MAP】
〔駐車場所〕西側に6台と停めることができる駐車場がある。
志段味古墳群を構成する古墳の1つで愛知県では3番目の大きさを誇る手鏡型前方後円墳である。かつて墳丘の斜面は河原石の葺石で覆われており、特に後円部の頂上部の葺石には白色珪石が使用されていたことから白鳥塚と呼ばれるようになったと言われている。また、この古墳には日本武尊(倭建命)伝説があり、『東春日井郡誌』によると日本武尊が伊吹山の賊を征伐に行く途中に蛇に足を噛まれ、傷口を川で足を洗っていたところ、一羽の白鳥が現れた。日本武尊が白鳥に尾張に連れて行ってくれと頼み、日本武尊を乗せた白鳥が尾張の東谷山の麓に着いたところで死んだため、日本武尊がその場所に白鳥の墓を建て、その墓が白鳥塚だと伝わっている。
規模は墳丘全長115mで、前方部長さ43m,高さ6.7m(北側)/5m(南側),幅40m、くびれ部幅25m、後円部直径75m,高さ15.2m(北側)/12.6m(南側)を測り、前方部は2段、後円部は3段築成と推定されている。前方部端と北側、後円部の各1ヶ所以上に造り出しがあった可能性も指摘されている。古墳の周りには濠が巡らされ、後円部北側には渡土手(陸橋)が設けられていた。なお、埋葬施設や副葬品,埴輪については確認されていない。古墳時代前期半ばの4世紀後半の築造とされ、渡土手や墳丘の白色石など奈良の大型前方後円墳と共通する点が認められることから、被葬者はヤマト王権と強い結びつきがあった人物と推定される。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(2014年10月6日指定:志段味古墳群として) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:前期 |
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関連年号 | 4世紀後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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日本武尊 | K104 | 4 |