水竹城跡
みずたけじょうあと(Mizutake Castle Ruins)
【C-AC578】探訪日:2023/3.30・2023/4.9
愛知県蒲郡市水竹町松前
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、金田小太夫頼治によって築城され、戦国時代には鵜殿氏の上ノ郷城の出城であったと考えられている。
1562(永禄5)年2月の松平元康(徳川家康)による上ノ郷城攻撃の際、前年11月に松平忠次(松井松平家の祖)軍が水竹城を包囲し、1ヶ月余りで城主の金田元政を降伏させ松平方へと翻意させた。元政は上ノ郷城攻めに従軍したが、籠城する鵜殿勢に討ち取られたといわれる。
城は元徳寺が在った場所とされるが、現在は住宅や畑地に変わり、遺構は残されていない。なお、頼治から4代目の孫・近江介信政が1473(文明5)年に松平親忠に属し三州田原の合戦で討ち死にしたと記された碑と五輪石が元徳寺の裏にある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1473年 | 1561年・1562年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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金田頼治 | H424 | 松平家康 | TG01 | 松平忠次(康親) | G212 |
金田元政 | H424 | 金田信政 | H424 |