奥殿陣屋跡
おくとのじんやあと (Okutono Jinya Ruins)
【R-AC012】探訪日:2016/2.28
愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10番地 <📲:0564-45-7230>
【MAP】
〔駐車場所〕
1684(貞享元)年、松平真次の子・乗次のとき1万6千石を領する大名となり大給藩主となった。1707(宝永4)年には奥殿に新しく陣屋が完成、1711(正徳元)年の松平乗真のときに藩庁を大給陣屋から移転して奥殿藩が立藩された。以降、1863(文久3)年に最後の藩主・松平乗謨(明治維新後に大給恒と改名)が信濃国佐久郡田野口村(長野県佐久市)に龍岡城を築城して藩庁を移すまで、奥殿陣屋が奥殿藩の中心であった。ちなみに松平乗謨は博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力し「日赤の母」として知られる(「日赤の父」は佐野常民)。
当時は御殿,役所,書院,学問所,厩,馬場などがあったが、廃藩置県後にそれらは移築や取り壊しが行われ、陣屋の跡地はほぼ田畑となっていた。1985(昭和60)年、岡崎市桑原町にある龍渓院の庫裏になっていた書院が跡地に移築され、「奥殿陣屋」の名でオープンし、現在は、村積山自然公園の一部として整備され、書院や日本庭園,食事施設,観光農園,資料展示室などを持つ観光施設となっている。 陣屋の遺構としては、冠木門付近の石垣と、奥の山にある歴代藩主の墓所に通じる道の途中に土塁が残っている。