本坂居館跡
ほんざかきょかんあと(Honzaka Residence Ruins)
【R-SZ029】探訪日:2023/3.7
静岡県浜松市北区三ヶ日町本坂102
【MAP】
〔駐車場所〕大月寺に駐車場がある。
1600(慶長5)年の関ケ原の戦い後、本坂関所の関守を勤めた後藤角兵衛実久と子の兵庫の居館跡とされている。後藤実久は日比沢城主・後藤直正の分家で本坂道(姫街道)の峠近くに居館を構えて街道の要所を押さえ、本坂後藤氏と呼ばれた。
1569(永禄12)年、徳川家康の遠州侵攻の際には本家の後藤直正は反徳川方として射殺されたが、実久は徳川方に付き、日比沢城は実久に与えられた。1590(天正18)年の家康の関東移封に伴い、実久も武蔵国笠井川越にて三百石を与えられ、日比沢城は廃されたが、関ケ原の戦い後、旧領の本坂へと復帰を認められ、本坂の関守の任に就くことになる。そして、1619(元和5)年、後藤兵庫は徳川頼宣付きとなり、紀州和歌山へと移ったことで、やがて居館も廃されたと考えられる。
居館は現在の大月寺の建つ区域とされるが、周辺はみかん園となり地形も改変されて正確な姿を知ることは難しくなっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:前期 |
関連年号 |
1569年 |
1590年・1600年 |
1619年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
後藤実久 | **** | 後藤兵庫 | **** |