竹ヶ鼻城跡
たけがはなじょうあと(Takegahana Castle Ruins)
【C-GF016】探訪日:2015/9/20
岐阜県羽島市竹鼻町2624
【MAP】
〔駐車場所〕
築城は竹腰尚隆によって応仁年間に行われたとされる。江戸時代には開墾され、現在は市街地に埋もれ遺構は残っていない。城跡の位置も転々としたようで正確な位置は特定されていない。
文明年間頃には長井利隆が城主となったが、1497(明応6)年に加納城へと移った。長井氏の後は、織田信雄の配下の不破広綱が城主となったが、1584(天正12)年、小牧長久手の戦いの際に、豊臣秀吉の水攻めに遭い落城(竹ヶ鼻城の水攻め)。不破は落ちのび、秀吉の配下の一柳直末が入城した。直末が大垣城主となると、池田恒興の配下の伊木忠次、次に森寺清右衛門が入城する。
その次の織田秀信配下の杉浦重勝が城主の1600(慶長5)年8月22日、関ヶ原の戦いの前哨戦として福島正則によって攻囲され、二の丸,三の丸に詰めていた援軍の毛利広盛らが福島に降伏してしまったため落城、杉浦は自害した(竹ヶ鼻城の戦い)。後、竹ヶ鼻城は廃城となる。