波入江城跡
なみいりえじょうあと(Namiirie Castle Ruins)
【C-AC565】探訪日:2023/2.27
愛知県豊橋市老津町波入江
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、田原城の支城のひとつとされ、城主に戸田甚七郎政光,戸田庄左衛門光忠の名がある。今川義元の田原攻めの際、光忠は脱出して岡崎に逃れ、後に松平氏に仕えている。その後、戸田宗家の居城・田原城を奪回して支流ながら田原城主となって以降、その子孫は田原戸田家となり、光忠の孫・戸田尊次は家康のもとで戦功をあげて伊豆国下田に5000石を与えられた。
城は、その名の通り、西の沼沢地まで入り江が入り込んでいたものと思われ、現在の祥雲寺の北東の台地部分が城域と考えられる。台地部分が標高15m,比高13mの最高所であり、主郭があった可能性が高い。墓地および最高地の北側は腰曲輪とみられる。墓地の南側に虎口が確認できる。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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戸田政光 | F529 | 戸田光忠 | F529 |